2011年3月28日月曜日

原子力発電所がこれ以上増えないことを願う


この部分は追記ですが冒頭に書いておきます。

昨日書いたブログの中でリンクを張った「原発がどんなものか知ってほしい(全)」はかなり以前から話題になっている嘘だらけの怪文書でした。このページ(→原発がどんなものか知ってほしい 第2版 - faireal.net)にこの件の詳しいことが書かれています。亡くなった方が文書として書いていないものをその人が書いたように見せかけているあたり非常に悪質です。調べもせずデマに加担してしまい申し訳ありませんでした。

反証の『Re:原発がどんなものか知ってほしい』(0.html)を読みました。嘘の検証ということでは納得できました。でも今のこの現実があり、東海地震の予測された場所に原発があることが細心の注意を払って安全を考えられている状態とはとても思ないし、人が近づけない放射能を出し続ける物質をどんなに安全管理しようとしても人が扱うことは怖いです。『Re:〜』の中でも廃棄物に関する部分は納得できる答えではありませんでした。原発に頼るべきではないという思いは今まだ変わってはいません。

(追記終わり 2010.3.29)



「原発がどんなものか知ってほしい(全)(平井憲夫)」

すごく怖いことが書いてある。今まで知らずにいた、でも本当は知ろうとしなかったって自分でわかってる。山岸凉子さんの漫画「パエトーン」は今無料公開されていてネットで見ることができる。この作品を昔ちゃんと見てたから。作中で紹介されている広瀬隆さんの本「危険な話」もその時に読んだ。原発はどうしようもなく危ないもの、って知ってた。知っててもその後はそういうことを考えないようにしてたんだよね。

今大変な事態が起こってるのにそれでもなお原発が必要だと訴えている人は大勢いる。「責任」がどこにあるのかの論議ばかりが盛り上がってる(責任の所在が一番大事という点では2ちゃんねる掲示板でアジってる人たちも彼らが嫌う官僚体質とかによく似てる気がする)。大事なのは過去じゃなくて今と未来のことなのに。廃炉にしてなお『50年か300年か』もしくは『何万年か』も電気を使って管理しなければならない。とんでもない負の遺産を作ってしまった私たち。未来の人々はさぞ私たちを恨むだろう。

電気がでももう手放せないことも知ってる。原発なしの発電とも向き合って、それでも量が不足なのなら「電気」そのものとのつきあい方を変えていくしかない。

ホントはこの現実と向き合ったり将来を考えたりが怖くて、できたら忘れたいんだけど、そんなことをしたら今この大事故と戦っている人たち(原発周辺に住んでいる人達も含めて)に申し訳ない。それに長いこと現場で働いている人たちが命懸けの仕事をしている。沢山の人に助けられて生きてるって実感する。きちんと知ることをして考えなきゃって思う。